人事コンサルや組織風土醸成の仕事に転職したい人に知って欲しいこと

昨晩のこのツイートに600リツイート、3,000いいねを超える反響がありました。

そこで今日は、現在の職場で「戦略人事」として組織制度設計や運用に携わる方。あるいはその職種に自分のキャリアを寄せていき、いずれは転職したいと考えている方。

もしくは、そういった組織課題を外部パートナーとして請け負う「組織人事コンサルタント」の方や、人事コンサル業界への転職を考えている方。

こういった方たちに向けて、自分がこれまで得てきた

  • リクルート時代の人事経験
  • 転職エージェントの業界経験
  • 転職業界からIT業界に移籍した経験
  • 自分自身がこれまで合計7回転職してきた経験
  • 管理職として評価業務を通じて感じたことや評価会議に出席してきた経験
  • ビズリーチやメルカリなど急成長企業でフェーズが変わる瞬間の当事者経験

上記の個人的な経験から学んだことを、わかりやすく説明します。

今日の記事を読めば「完璧な人事評価制度など存在しない」ことや「評価制度を運用する上でのポイント」「パフォーマンスごとの人材の割合と評価制度の結びつけ方」が理解でき、ご自身の会社で日々起きている光景にも納得いく点が見つかるはずです。

人事評価制度の目的は「ちゃんと評価すること」じゃない

結論から言うと、人事評価制度についてあまり語られない重要なポイント

  • 人事評価制度の本来の目的は「ちゃんと評価すること」ではなく従業員の個々の納得感を醸成すること
  • 組織におけるローパフォーマーは画一的で似ている一方、ハイパフォーマーはそれぞれ個性的なので、評価制度の枠組みでは捉えきれない
  • ハイパフォーマーは神様ではなく人間なので、固有の「偏り」を許容せずに弱点に焦点を当てると離れていってしまう

この3点です。

まず1つ目ですが、ツイートのスレッドにも追記したように、人事評価制度の設計と運用は「ちゃんとするためにちゃんとする」みたいなワナにハマりやすいのです。

従業員の納得感がいまいち得られないという問題意識に対して、その解決策として「人事評価制度の導入や刷新」を打ち出したならば、その納得感が総じて上がったのかどうかを測定しないといけないはずです。

でも、多くの人事評価制度は「入れたら入れっぱなし」になってしまっていて、しかもA/Bテスト(ランダム比較化実験)も実施できませんから、なかなかわからないわけです。

そしていつの間にか、評価制度設計自体のクオリティやフィット感を議論することなく、マネージャーたちの膨大な会議時間を費やしながら、最終的に「納得感の総量は上がっていない」という皮肉な結末になってしまったりします。

これでは、評価制度を運用するための業務と人的コストが上がっただけで逆ザヤです。

■ ローパフォーマーは”画一的”、ハイパフォーマーは”個性的”

一方で、これまで何度も評価会議に出てきて気がついたことがあります。

それは、

  • ローパフォーマーはお互いに似ており、それが活躍を妨げる共通のボトルネックになっている
  • ハイパフォーマーはそれぞれ個性的で、固有の強みとその組み合わせで活躍している

ということです。

ローパフォーマーの活躍を妨げている因子はいくつかありますが、典型的なのは「企業カルチャーとの不適合」「期待値のズレ」「業務遂行に必要なスキルと知識の不足」の3つに集約されます。

この中でも企業カルチャーとの不適合は致命的で、採用時点での失敗は長く尾を引くので注意が必要です。

一方で、共通の枠組みで捉えにくいのが「ハイパフォーマーが、なぜハイパフォーマーなのか」「なぜ、彼らは高い成果を挙げているのか」です。

こちらの記事でも書いたように、経営人材/管理職であれば「高い成果を挙げるために、ありとあらゆることをやる」という傾向があります。

つまり、自分の得意領域で圧倒的に事業貢献しつつも、会社の次の課題やボトルネックを見つけたら、それが専門だろうがなんだろうが「なんとかする」「なんとか扱えるようにする」「なんとかできるチームをつくる」という動きをするからです。

そして、それを実現するためのアプローチや、活かすべき強みは個々にユニークだったりします。

これが、期初で明確に宣言された目標以外のコミットメントとして潜伏状態で実行され、結果が出てからしか語られない場合は、なおさら目標管理制度や評価制度の枠組みで捉えることができないのです。

では、どうすればいいのか?図解するとこうなります。

まず、①評価制度設計は、全体の60%を占めるミドルパフォーマーをイメージして、無理のない制度として設計します。

そうして設計した評価基準は、②ローパフォーマーの課題とボトルネックを可視化させるのに非常に役に立ちます

ただし、③それをハイパフォーマーにも画一的に当てはめようとすると無理が出てきたり、せっかく活躍している人の弱点探しが多くなってしまいます。これでは本末転倒というか、逆ザヤですよね。

では、ハイパフォーマーはどう捉えたらいいのでしょうか?

■ ハイパフォーマーも神様じゃない

ハイパフォーマーの彼/彼女たちは、そもそも神様じゃないんですよね。

多くの人事評価モデルでは、職務グレードが上がれば上がるほど「何でも出来るスーパーマンみたいな存在」を、想定してしまいがちですが。

僕は、そのメンタルモデル(無意識に前提としている考え方)は、そもそも間違っていると思います。

正直、僕以外のビジネスパーソンでも、自社の人材グレード定義を読めば読むほど、上級職ほど「いやいや、神様じゃないんだから」「そんな人って、現実的に存在し得るんですか?」と感じちゃう人はいるのではないでしょうか?

100歩譲って、その要求を満たす人材が存在したとしても「その人がこの会社で働く理由が見つかりません」と思わせられるような、現実離れした要求と報酬水準のバランスだったり。

したがって、「神モデル」のような人事評価制度は、人間という生き物についての現実的な理解をもとに、見直すことをおすすめします。

僕がこれまで出会ってきた「突出したハイパフォーマンス人材」は、独自の能力や経験を組み合わせることで、高い成果を挙げていました。

でも、ハイパフォーマーであることの代償というか、「とんでもなく抜けている所」「ぜんぜんダメな所」「極度に屈折した何か」を、同時に持ち合わせている事もまた、多かったのです。

人間ですからね。それはそうなりますよね。でもそれが現実の人間なんです。

それを受け入れる余地がない「完全無欠の人事評価モデル」は、人間についての浅い理解の上に成り立ってると僕は思います。

■ 大切な従業員を白けさせないために

ということで今日は以上なのですが。

僕は長い間、管理職として部下を評価することについて悩んでいました。僕自身、人を評価できるようなスキルも経験もなく、そんな資格はないと考えていたからです。そういう人は意外と多いんじゃないかな。

それでも、テキトーな評価をするのは相手に失礼ですから、メンバーの人数が増えていく中でも、なんとか丁寧にフィードバックできるよう頑張っていました。

でも、ある日から考え方を変えて、自分はあくまで「評価者」ではなく「応援者」であろうと考えたのでした。

そして、そういうマインドセットでメンバーの良い点にフォーカスすると、段々と「会社が、上がこう言ってる」とかじゃなくて「僕はあなたのこういう所が素晴らしいと思うし、会社にアピールしたい」という風に、メンバーにかける言葉が変わっていったのでした。

主語が、会社とか上司ではなく「自分」になったんですね。

そうすると、それまで、かなりわかりやすく期待値を伝えたり誠実にフィードバックしてもイマイチ白けた感じだった場の空気が、熱がこもったものに変わっていったのをよく覚えています。

評価制度は所詮、人がつくるものです。

どこまで言っても人間の主観を排除しきれない以上は完璧なグレード定義など望めないですし、制度運用にもコストがかかります。

ギチギチに細かい人事制度を運用することに躍起になっている方がもしいたら、これを機に一度、その目的に立ち返って見直してみてはいかがでしょうか?

ではでは。長文、読んでいただきありがとうございました。